どこからが、偏見なの? 

文字通り「偏った見解」。
本来「プラス」と「マイナス」どちらに偏っても、偏見のはずよね?
でも「マイナス」のイメージが強いのは、なぜかしら…。

本人の受け止め方にも、差が大きいのが、難しいところ。
偏見をもたれるのは嫌だけど、
周りが助けてくれたのは「偏見のおかげ」という場面も、多々出てくる。
それを偏見と思うか、偏見と思うその事自体が、自分自身に対する偏見なのか…。

線を引くから、偏見が生まれる。
ただ、何かを決める時、線引きが必要なのは現実。
その線の位置があっているのか、色は適当なのか、幅や長さは適切なのか、
一体、誰にわかるんだろう?
やっぱりその筋のエキスパート???

人間、10個くらいは遺伝子が傷付いて産まれてくるって、何かで読んだ。
たまたま遺伝子が1つ多かったから「ダウン症」。
たまたま○番目の遺伝子が傷付いていたから「自閉症」。
たったそれだけの事なのに、上下関係ができるなんて、やっぱりおかしいよね???

「助けてあげよう」と思うこと、
それすら偏見だ、上からものを見ている、ってイヤがる人もいるね。
でも、そう思っている事、それこそが偏見じゃないのかな?
それぞれ得意分野・不得意分野があって、
お互い補い合って、お互い助け合うのって、当たり前じゃないのかな???

難しいね、普通で良いのに…。

Σ( ̄□ ̄ )ゞ 
その「普通」って?! どこからどこまでが「普通」?! 誰が決めるの?!
やっぱり、その筋のエキスパート…?!

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